"691074"

"691074"は"ROCKでなし=ろくでなし"と読ませます。自分が感じた事を書き綴っていきます。お気軽にコメントを残して下さい。

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■ 「ライブドア事件」を「長渕剛」で斬ってみます!

いや、ビックリしました。

堀江さんの逮捕劇。

もう世間では「容疑者」なんだろうけど、俺は、ここのところ、あまりテレビも見てなくて、事件のこともまだ、よくわからないし、具体的に何をして逮捕されたのか、何がいけなかったのかとか、わからない事が多いので、まだ、「容疑者」ではなく「堀江さん」で。

それでも、今日、テレビをつけたらどの局も、

「ライブドア」
「ライブドア事件」
「堀江容疑者」
「堀江隆文容疑者」
「堀江元社長」
「粉飾」
「株」
「自殺」
「買収」
「ライブドアマーケティング」
「マネーライフ」


こんなワードで埋め尽くされていて、

「事が重大なんだろうな」

くらいはわかったつもり。

たぶん、小学校とか中学で、彼が、同じクラスにいても俺とは、友達にはならなかったタイプだろうけど、仕事や考え方とか共感できる部分はあったし、メディアから流れる彼の行動に、少なからず、俺はリスペクトもしていたし、そう思った事は今後も変わらないと思う。

今回の事件て、ほんと俺はよくわからないんだけど、要するに金がらみでしょ?

堀江さんに責任があるのか、誰に責任があるのかわからないけれど、

「時に、お金は人を変えてしまう可能性がある」

って事に改めて気付かされたね。

今回の件で、俺が一番最初に思った事は、直接事件がどうのこうのって事ではなくて、去年の

「レコード大賞」

のこと。

大晦日、俺は格闘技に夢中だったので、「レコ大」は、ちらっとしか見なかったんだけど、その「ちらっと」の中にね、丁度、堀江さんの登場シーンがあって。

新人大賞のプレゼンターっていうのかな?

そんな役を彼が務めて。

で、新人大賞は、

「AAA(トリプルエー)」

っていうバンドが受賞したんだけど、俺が思ったのは、

「AAA(トリプルエー)と、そのファンの子達が、かわいそうだな」

って事。

ミュージシャンて、少なからずファンの子達に夢を売る商売なわけで。

で、新人さんであるならば、まだ、澱んだ業界の水で腹も満たされているわけもなく、色で言ったら、本当に「白」だと思うわけですよ。

それはバンドのメンバーの方々だけじゃなくって、それを応援するファンの子達もね。

まさに、

「夢まっさかり」
「青春ど真ん中」


とか、そういう感じだと思う。それは今でもね。

で、そんな未来あるバンドやファンの子達の「純粋な想い」に、今回の事件は水を差す形になってしまったなと。

それがね、非常に残念。

確か、あの席で、堀江さんは、こんなことを言っていました。

「僕も経済界で言えば一年生」

で、この言葉の意味って言うのは、

「僕も、この新人大賞を受賞したAAA(トリプルエー)と同じように、経済界では、一年生。でも一年生でもやればできる。一緒に頑張って行きましょう。」

って事だったと。

俺は、AAA(トリプルエー)が、どんなバンドなのかは、全く知りません。

でも、少なくとも、彼らや、彼らの親、兄弟、親戚、友人が、

「時代の寵児」

とまで言われ、一足先に成功を掴んでいるように見えていた、堀江さんから賞を手渡された事で、

「嬉しかった」
「凄いね」
「堀江さんから賞を手渡されたんだって?」
「堀江さんてどんな人だった?」
「俺も、こんな有名人になるんだ」

なんて、思ったり、興奮したり、一時的に彼から夢を見させてもらった人もいると思うんだよね。

そういう人達が、もし仮に、堀江さんが、本当に「黒」だったとしたら、あまりにもかわいそうだなと。

長くなりましたが、最後にひとつ、今の日本に、そして今回の事件に対して、歌いたい歌があります。

もちろん長渕剛さんの歌です。

ワンフレーズだけ。

♪銭はよぉ、銭はよぉ、そりゃ欲しいけどよ
♪なんぼ積んでも、なんぼ積んでも、譲れねぇものがある


By長渕剛「親知らず」

ん~、実際、俺も就職して「金」に対しては、以前よりも少しは執着心が出てきた所だった。

実際、俺は、つい最近まで、能力給というか、インセンティブ給与でね、やらなきゃゼロに等しい給与体系にまで落ち込むような感じだったから。

金があるとないとで、できること、できないことがわかれることは、身をもって体験してきているしね。

そんな中で、実際に、金は必要だと。

最近は、そう思っていた。ま、今も変わりはしないけど。

でもね、今日、ずっとテレビを見ていて、最後に、こうして、長渕剛さんの「親知らず」のメロディーと歌詞が、ポンと出てきてね、スーッと、心に染みてきたっていうのは、俺にとっては、良かったなと。

やっぱり、こうやって、何か事件だったりが起こる時、最終的に辿り着くのは、

「長渕剛」


なんだよね、俺にとっては。

ブレない軸だよね、コレだけは。

剛の言葉を借りれば、ブレない「世代の縦軸」ですよ。

この「世代の縦軸」っていうのは結構大事で、若いうちに組織(家族とか部活とか地域活動とか)に入って揉まれないとなかなか形成されにくいような気がするんだよね、俺の中では。

で、一度、縦の軸の精神じゃないけど、そういうのができると、色々いたずらとか悪さをしても

「ここだけは触れちゃいけない」

とか

「この人だけには迷惑をかけられない」

みたいな、なんちゅーか、自分の中の「戒律」みたいなものができあがって、絶対に、それだけは守ろうとする。

ま、ゴタゴタ書いてきたけど、要するに、

「時代が混乱するとき、長渕剛現れり」

という事で、堀江さんの事を言っているわけじゃないけど、マネーゲームに明け暮れる皆さん、

「長渕剛」を聞こうぜ!

忙しいなら移動中だっていい。

人間らしく生きようぜ!

そして、

どうか、もう一度、広い校庭の向こうの手の届かなかった、頭の上、赤錆びた鉄棒にぶら下がろうよ。

※最後は♪友よ♪で〆てみました、笑。


☆ROCKERS☆
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=shelly2000
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■ 忘年会??毎年毎年、嫌な響きだな~。俺は、年を忘れるような生き方なんてしてないよ・・・。

今日、久しぶりに新宿に出かけた。

久しぶりの新宿。

なんか良かった。

東口に出て、歌舞伎町の方に歩いてみた。

立ち並ぶ飲み屋の煌びやかなネオン。

今年もまた見つけてしまった。

居酒屋の入り口や窓に張られた

「忘年会承ります」

「やってきました忘年会シーズン」

毎年思うんだけど、いい加減、なんとかならないものでしょうか、この響き。

忘年会。

頼みますよ。

一軒くらいは、別の呼び方の看板ぶらさげましょうよ。

何を忘れるの?

忘れたとこから都合よく何かが始まるの?

俺はいい事も悪いことも忘れたくはないな。

俺にも、忘れたいくらい辛いこともいっぱいあるけど、冷静に考えると、やっぱり忘れたくはない。

というか忘れちゃいけない気がする。

大体、年を忘れるような生き方はナンセンスだし、そんな生き方はかっこ悪い。

都合の悪いことを忘れるから、いつまで経っても良くならない。

だから、同じ過ち、同じ犯罪が、繰り返される。

そんな俺にも、世間で言われる忘年会のようなものはある。

でも、俺は、必ず提案する。

「誰も年を忘れるような生き方してないよ。みんな、精一杯一年間生きてきたよ。だから、決起集会って呼ぼうよ」

と。

だから、学生の頃からずっと「決起集会」。

就職して会社のその類の飲み会も、全て幹事を務め、「決起集会」という名前に変えた。

まぁ、話が飛躍しすぎているのは重々承知しているけれどね、気分的な問題でね。

でも、その気分が大事だと思うから、そうしてきた。

そして、今年も16日から「決起集会」のラッシュが始まる、苦笑。

うちの会社も、だいぶ若い人が入ってきて、飲み会も活気づいてきた。

20歳以降、年に2、3回行けば多い方だったカラオケにも、今年は10回以上行った気がする(カラオケは大好きなんだけどね)。

でも、だいぶ行ってなかったから、レパートリーが無い。

今年の決起集会。

何か新しいレパートリーを増やそう。

そう思って、今、こうして書いている最中、チャゲアスの「男と女」を10数回聞いてみた。

泣ける。

名曲だ。

今年の決起集会は、「男と女」で渋く決めることにしよう。

って、冒頭からだいぶそれまくったけれど、言いたかった事は、

「しんどくても、日々を忘れず、頑張って生きていきたいものですね」

って事です、笑。

■ "自由"って何ですか?

"自由"って言葉を、おぼろげながらも意識したのは、いつ頃からだったろうか。

中学生の頃、俺の学校では、ギターの授業があった。

俺、中学2年生。

初めて触るギター。

興奮したよね。

それまで音楽とかには無縁の生活を送っていたけど、何故か、興奮したなぁ。

ちょっと話は、それるけれど、今から思えば、黒夢の「Like a angel」の歌詞にある♪初期衝動に魅せられて走り出した♪の初期衝動だな、あの感覚は。

で、ギターの授業。

仲の良かったN君達と数名のグループで、課題曲を決めたっけ。

当時は、虎舞竜の♪ロード♪とか、江口洋介さんの♪恋をした夜は♪なんかが流行っていて、結構、それらを課題曲にしているグループがあったなぁ。

いや、懐かしすぎます。

音楽室の窓際に陣取った俺達は、あーでもない、こーでもないと課題曲について、話し合った。

皆、それぞれ意見を言ったんだと思うけど、俺の中で、N君が言った言葉がやけに残ったというか。

N君「尾崎豊の"15の夜"やろうぜ。めちゃカッコいい歌だよ。」

俺「は?却下、却下!(笑)」

今でこそ、N君の影響から始まり尾崎豊さんを敬愛している俺だけど、当時は、全く知らなくてね・・・苦笑。

で、ノリで却下して。

で、結局、なんかスリーコードでできる童謡というかそんなのをやった気がするな。

でも、上に書いたように、そのN君が言った「15の夜」って言葉が何故か俺の中で引っかかっていて・・・。

で、ある時、いとこの家に遊びに言ったら、「尾崎豊 17歳の地図」ってカセットテープを見つけて。

俺は、興味本位でいとこに言った。

俺「15の夜入ってるの?」

いとこ「あぁ、入ってるよ。」

俺「したら、それダビングしてよ。」

いとこ「いいよ」

そして、ダビングしてもらったテープを聴いた。

衝撃だった。

まず、イントロの軽快なリズムと、瞬発力のあるギターサウンドは、それまでの俺の中には無いものだった。

いわゆるポップスと呼ばれる音楽は、何の興味も無かった俺が、不思議なことに、イントロだけで、グッときたというかね。

で、尾崎さんが歌い始めるわけですよ。

♪落書きの教科書と、外ばかり見てる俺、校舎の裏タバコをふかして見つかれば逃げ場も無い♪

とてもじゃないけど、その時の俺の心境としたら、興奮しながらも「大人の前では聞けないな・・・」なんて罪悪感じみたものも感じたりして。

うまく言えないけれど、めちゃめちゃ興奮していた。

そして一通り聴き終わって、確か、10分テープだったので、テープをひっくり返して、B面を聞いたような気がする。

そしたら、今度は、今までの興奮を冷ますかのようなピアノのイントロ。

♪校舎の影、芝生の上、吸い込まれる空、幻とリアルな気持ち感じていた♪

そう「卒業」が流れてきたのです。

またしても、少年時代の俺の胸は張り裂けんばかり熱くなりました。ちなみに、この日は、元旦です(笑)。

たぶん、後にも先にも、こんなにプラトニックに、誠実に、純粋に、興奮した元旦はないと思います。

で、2曲聴き終わって、俺は、もう尾崎さんの虜になりました。

詩の世界も、曲調も、そして彼のボーカルも。

全てが、当時の俺が、潜在的に求めていたものだったんだと思います。

で、尾崎さんとの、その出会いを経て、次の日からは、もう毎日、尾崎さんの事ばかり考えるようになりましたね、苦笑。

寝ても覚めても尾崎豊。

朝昼晩の食事よりも「尾崎豊」が大事だった。

で、彼の事を知ったり、曲を知るにつれ、「自由」というものをもの凄く意識するようになりましたね。

高校に進学してからも、授業はそっちのけで、いつも窓から外を眺め、青くて高い空や、堤防の向こうに見える川の流れを見て、「自由って何だ?」「自由になりてぇ!」と考えていました。

いいか、悪いかは別にして、青春ですね~、笑。

何の授業の時も、そんなことばかり考えていたので、いつも授業は適当でしたね~苦笑。

印象的なのは、数学の授業。

「数学で、質問されたら、適当に数字を答えておけばいい」というのが、当時の俺の持論で、いつも「2」か「3」と答えていました。

もちろん、究極のあてずっぽなので、あっていることなんて滅多にないんだけど、当時の俺にとっては、そんな答えを出すよりも、「自由」の答えを出すことのほうが大切だったわけです、笑。

「サイン・コサイン」か何かの授業で、教師が俺に解答を要求してきた時のこと。

「いそっち君、ここの答えは?」と。

で、俺は例によって、

窓の外を見ながら「2」と答えました。

したら、教師は呆れ返った顔をするし、連れは笑うし。

後から聞いたら、方程式のアルファベットを入れる超簡単な質問をしてくれていたらしく、答えが「B」だったところを「2」と言ったので、皆、笑っていたそうです。

まぁ、そんな事が屁に思えるほど、当時の俺には「自由が何か」って事が大切だったのです。

俺も、若かった。

青かった。

まぁ、そういう意味の無い自由探しは大学まで続きましたね。

ある種、反抗しながら「自由」を求めた中高時代。

東京に出たくてしょうがなかった。

誰も縛る人がいない場所で、のびのびやりたかった。

東京に出て、大学に入った。

縛るものは何も無い。

その段階で、もうほとんど気づいていたんだけど、中高と探してきたわけだし、「これが自由だ」って思いたかった自分もどこかにいたんだろうね、きっと。

で、大学を平凡に卒業して、就職。

今の俺の会社は、まぁ、一般的には良い労働環境の会社ではないと言えるでしょう。

入社前には、インターネットで、うちの会社に対する色々な記事を読みました。

「過労死した社員がいる」

「残業手当なしなのに、残業150時間」

「何か問題が起こると暴力と金で買い取る」

まぁ、色々叩かれていました。

入社する時、相当悩みましたね。

ゲロ吐きそうになるくらい、真剣に、入社しようか迷ったね。

というのも、入ってすぐ辞める事だけは、俺の中では、あり得ないことだったから。

で、今までの自分の人生を振り返ってみた。

これからの事も含めて、色々、考えたね。

もしかしたら、人生で一番、現実を考えた時期だったかもね~あのときが。

で、俺の中で特に強かったのが、

「あ~、俺って、五対満足に生まれて、何不自由なくここまで来てんじゃん。コレってなんかダセェ?」

みたいな。

丁度、その時、黒夢を解散してSadsを組んでいた清春さんがこんな事を言っていたんだよね。

「孤高の丘に登りつめたい。誰も登ったことが無い丘。自分自身の限界。そしてその先の景色を見てみたい。そこに何があるのか。それを見てみたい。」

この言葉が、悩んでいた俺の背中をポンと押してくれました。

裕福に育ったわけでもないんだけど、

「何不自由なく親にここまで育ててもらって、俺、地獄らしい地獄見てないよな。もしかしたら、そういう局面があったかもしれないけど、親が守ってくれていたのかもな。現に、今、俺、生きてるし。確かにつらい事もあったけど、腹の底から死のうとおもったこともないし。だったら長い人生一度くらい、見ていないであろう景色、地獄を見るのもアリかもな。そして俺も丘に登ろう。そしてその先にある景色を見てみたい。じゃあ入社しますか。」

ってな感じで、今の会社に入社。

ん~、今、生きているから、たいした事無かったのかもしれないけれど、一般的には、地獄と言っても過言ではない生活をこの4年近くしてきたと思うかな。

まず、噂以上の労働だった。

と言っても強いられてきたわけじゃないから、会社の誰それに対する恨みとかは一切ないんだけど、体質がね。

社員は少ない上に、社風が厳しい。あとマーケット的な問題で東京は厳しかったという。

で、入社して1年目は、年間休日なんと10日。これは自分でも見事だと思った。なかなかこんな経験できないなと。親族、友人の冠婚葬祭以外は、全て出勤していたから。土日祝は平日。これは当たり前だった・・・。で、大体帰るのは終電。週に2回は泊まりがあったようなことも何ヶ月もあったし。後は、俺の入社した時が営業所閉鎖の危機にあったって事も精神的プレッシャーをいい感じで与えてくれた。俺が稼がなきゃココつぶれる!みたいな。

で、紆余曲折しながらも入社前に決めた3年は気づけばクリア。

なんとか4年目ももう終わろうとしている。

もう会社では古株も古株。社歴5番以内に入るんじゃないかな~。ほとんどが一年未満で辞めるかクビだったから・・・。おかげさまで、最近は、楽になってきたけれど。

で、今、思うこと。

それは

「尽きせぬ自由は、がんじがらめの不自由さの中にある」

って事。

まぁ、これは、長渕剛さんの♪STAY DREAM♪の歌詞の一節なんだけれど、中学で自由の意味を探し始めて、10年経って仕事を始めて、ようやく「自由が何処にあるのか」に気づいたという。

自由の意味は、まだまだこれからも探していくテーマなんだけれど、一般的に思われている自由の意味である「楽しさ」だったりというものは、「がんじがらめの不自由さ」の中でこそはぐくむことができるんだなと。それも、"他から強いられるがんじがらめの不自由さの中"にではなく、"自ら強いるがんじがらめの不自由さの中"にあると。

要は、"自ら強いるがんじがらめの不自由さ"とは"一生懸命生きる"事。その中に、本当の楽しみ(自由)ってものはある。それを見つけられるかどうかっていう。

だから、俺は、この仕事に就いて、色々あって、文句もいうこともあるけど、いい経験をさせてもらっているし、その中だからこそ感じられる喜びもあるから、この仕事、会社に感謝している部分もたくさんある。

今の仕事に就いていなかったら、こんなに家族の事、友達の事、自分の身の回りにいる人のことも考えなかったかもしれないし。

時間だったり、色々なものが、仕事で限られてしまうから、その中で「あいつに何かしてやろう」とか思えるようになったと思うし。

まぁ、長文になったけれど、尽きせぬ自由のある場所は「がんじがらめの不自由さの中」という事を結論にして、もっともっと楽しく生きていけるように頑張って行こうと思います。

以上。

■ コミュニケーションと☆ROCKERS☆の可能性?

長渕剛さんの♪泣いてチンピラ♪という歌の歌詞に、こんなフレーズがあります。

『刺せば監獄、刺されば地獄の腐った街で』
もう、10数年も前の曲だけど、非常に今の時代を象徴する詞だ。

いつも言っている事だけれど、改めて俺は思う。

時代は、"怒り""悔しさ"という"二つの大切な感情"を捨ててしまったのではないかと。

アントニオ猪木さんじゃないけど、本当に、世の中に怒りが無くなってしまった。時代がヘラヘラ笑っている。凶悪な事件が怒っても、メディア(情報)に操作された中途半端な怒りしか表に出せなくなってしまっている、また同じような事件が繰り返えされる。

何故、怒りを表に、他人に対して露にできないのか?
(怒ってばっかじゃ、窮屈な世の中だから、無理に怒ったほうがいいと言っているわけじゃないので悪しからず。そういう局面に瀕した時の事を言っています)

それは"自分に対する怒りが無い"からじゃないかと思う。自分に対して中途半端な怒りしかもてない人が、他人に対して怒っても怖くもないし、説得力も無い。だって、"怒るふり"をしている人は、結局は"ぬるま湯"に浸かっているyわけで…。すぐに見抜かれてしまうよね、その手の即席感情は。

わけのわからん事を書いてきたけど、長渕さんの詞で何を言いたかったというと、実際に怒りを究極のレヴェルで表に出した時に、じゃあどうなんだって事。今まで怒られた事もなければ、怒った事もない、いわゆる怒り方をしらない人間が、怒りをMAXで相手にぶつけたら(いわゆるキレルというやつです)、刺す、刺されたの世界に発展するケースもあるんじゃないかなと、詞を読んでいて、ふと思ったわけ。実際、Newsでそんなの見るでしょ?くだらない理由で、悲しい殺人事件が起こったりさ。

で、極論だけど、怒りを露にして、刺せば、そこには当然法律の世界が待っているわけで、六法全書のたった1ページの力でその怒りは、ねじ伏せられ、怒りを露にして刺した人間は監獄、刺されば地獄という世界が待っていると。

だから、間違った怒り方をしない為に、まずは自分自身に対する怒りというものをしっかり見つめようと。

それは、やはり、自分ひとりで学べたり、見つめ直したりできるものじゃないし、勝手に身につくものでもない。人との係わり合い、コミュニケーションの中で、何かを感じ、学んでいくもの。でね、せっかく俺も、このHPを立ち上げたわけで、BBSやBlogで、コミュニケーションなんかは取れるし、使い方如何によっては、上で書いてきたような効果も期待できるんじゃないかなと思ったの。だから、皆に広く、BBSやBLOGに参加してもらって、自分自身、そういった事を再確認したいし、皆にも再認識してもらえたらいいかな~と。
BBSには、素晴らしい仲間がいるしネ。誹謗中傷以外であれば、何か書いたら、反応が帰って来ると思います。少なくとも自分はレスをします。

グダグダ書いてきましたが、ここまで読んで何か感じてくれた方は、是非BBSで、何気ない事から熱い話題まで、気兼ねなく書き込んでくれたらな~と思います。てことで、おしまい。

■ どんなときも♪の歌詞で現代を斬ってみませんか?

今日は、♪どんなときも♪で現代の若者の精神文化を斬ってみたいというか、これが結構、前向きに生きる鍵なんじゃないかなってとこを自分なりに拾ってみたいと思います。って俺は何者なんだ?笑

♪どんなときも♪は歌詞に一貫して物語があるし、Aメロ、Bメロで並べた青春特有の内面的なマイナスの要素を、サビでプラスに転換していて、わかりやすくて、言いたい事も伝わりやすいと思う。

まぁ、サビが一番言いたい部分なんだよね。でも、今はサビのような精神状態に切り替えたり、それを保てない人が多いのも事実。で、俺が、注目しているのが、


♪消えたいくらい辛い気持ち 抱えていても 鏡の前 笑ってみる まだ平気みたいだよ♪

って部分。俺は昔から、「人間って結構タフな動物なんじゃないか」と思っていて、今でもその思いは変わらない。弱いって思う時も正直あるんだけど、そうは言っても、ほとんどの人がそうは言いつつも生きている事実があって、元来結構タフなんじゃないかと。俺自身、仕事していても特殊な業界だし、一筋縄ではいかない仕事なので、トラブルに畳み掛けられる事も多くて。日常では、考えられないようなアクシデントが起きて、でもそれは仕事外の部分で業務ではなくて、業務上のトラブルも一日に発生して。まぁ、やりきれない気持ちになる時は正直よくあるんだよね。一日、業務外の部分で、悪くも無い自分が、ほかの社員のプライベートな部分でのケツを吹いて、徹夜で本来やるべき業務をやったりとかね。一体俺は何の仕事をしているんだ?とか、俺の仕事ボランティアか?何でいつも俺が解決してんの?って思ったり・・・

で、こんな精神状態になった時に、上で抜粋したような行為をとれるかとれないかがポイントになってくるのよね。正確に言えば、上で抜粋したようなプレッシャーの回避策を知っているのか、いないのかによって、前向きに生きられるか生きられないかが決まってしまいかねないというか。それを馬鹿にして軽視しすぎていないかという事が、立ち直れるか、立ち直れないかの境界線とうか。また、そこで、本当に、ギリギリの状態に自分があるのかを見極められるかとかって事もポイントになってくるとは思うんだけど。俺が思うに、追い詰められても、ほとんどの場合余力は残っていると思うんだよね。どんなに追い詰められて、ゲロ吐くくらいまでやられこまれても家に帰るだけの力があるわけだし。まだ帰る力があんじゃん、俺!とか、帰る力があるんだから、悲観的になるなよお前!みたいな。で、そうなった時に、無理やり握り拳を作ってみたり、無理やり笑ってみたりって、できると思うんだよね、家に帰るくらいの力があればね。

で、じゃあ、実際に笑ってみる。握り拳を作ってみる。実際にやった人はわかると思うんだけど、結構、それで自分をマインドコントロールできちゃうんだよね。あ、俺、まだいける。とか、私、もうちょっとやれるとか。そんなんナルシストじゃん。なんて敬遠する人もいるかもしれないけど、それができてがんばれるのか、それができなくて死んじゃうのか。頑張れたほうがいいに決まってるよね。で、例によって、言いたいことがまとまらなくなっちゃったけど、抜粋したような行為というか気の持ちようは、現代に必要なんじゃないかなって、ただそれだけが言いたかったのです。今日は、これで、おしまい。

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